フォークダンスとは? 歴史と学校教育

世界と日本のあゆみ

① 結論

「フォークダンス」と聞くと、多くの人は「世界各地で昔から受け継がれてきた素朴な伝統の踊り」を思い浮かべるかもしれません。しかし、ダンスの歴史を調べると、「フォークダンス」という言葉や分類の枠組みと、踊りそのものの歴史は分けて考える必要があります。

地域のお祭りや農作業の祈り、人々の交流の中で自然に踊られていた多様な踊りは、大昔から世界各地に存在していました。そうした各地の踊りを、19世紀(1800年代)半ば以降のヨーロッパで学者や文化運動家たちが「集め、分類し、整理したカテゴリー」が、近代におけるフォークダンスという枠組みの出発点です。

日本で学校の体育やレクリエーションとしてフォークダンスが広く親しまれるようになったのは、第二次世界大戦後のことです。戦後の新しい教育改革やレクリエーション運動の中で、アメリカ軍の民間情報教育局(CIE)に所属していたウィンフィールド・P・ニブロ氏らの熱心な普及活動が大きな影響を与え、学校現場や地域社会へと広まっていきました。

また、日本の学校で親しまれてきた代表的な踊り(『マイム・マイム』や『オクラホマ・ミクサー』など)を調べると、そのすべてが古い伝統舞踊そのものというわけではありません。20世紀に入ってから作られた近代の創作舞踊や、アメリカのレクリエーション用ダンスが、学校で大人数に教えやすい教材として整理・紹介されたものも多く含まれています。

② 名前の歴史

「フォークダンス」という名前は誰が付けた?

「フォークダンス」という言葉については、誰か特定の一人の人物がある日突然思いついて命名した、という単純な歴史ではありません。

もともと英語の「folk」という言葉自体は非常に古く、古英語(昔の英語)の「folc(人々の群れ、民衆、庶民)」にまでさかのぼります。前近代においては学術用語ではなく、「一般の人たち」「庶民」を指す日常的な言葉でした。

この「folk」という言葉を、近代的な「民俗・民間伝承」という意味の学術概念として使う大きなきっかけを作ったのが、イギリスの古物研究家ウィリアム・ジョン・トムズ(William John Thoms)です。1846年、トムズは文芸誌への書簡の中で「folklore(フォークロア=民間伝承、民俗学)」という新しい言葉を提案しました。これは当時使われていたラテン語由来の小難しい表現(Popular Antiquities=通俗古物)に代わる、分かりやすい言葉として考案されたものでした。

この「フォークロア」の誕生をきっかけに、民衆の文化や伝承を表すために「folk」を頭につけた複合語が19世紀後半に次々と広がっていきました。

  • folk-song(民謡)
  • folk-tale(民話)
  • folk-art(民芸)
  • folk-dance(フォークダンス)

語源資料や辞書の記録を見ると、「folk dance」という言葉の初出には1877年や1879年など資料によって多少の違いがありますが、少なくとも19世紀後半には印刷物で使われ始め、定着していったことが分かります。

つまり、「folk dance」はウィリアム・トムズが直接命名したわけではなく、「folklore」という概念が生まれた流れの中で、19世紀後半の社会や研究者たちの間で「folk+dance」という形で自然に成立し、普及していった言葉なのです。

名前ができたからといって、意味が一つに決まったわけではなかった

ここで興味深いのは、「フォークダンス」という言葉が定着した後も、その言葉が何を指すのかについては専門家の間でも議論が続いていたという点です。

例えば、ドイツの民俗学者フェリックス・ヘルブルガー(Felix Hoerburger)は、1968年の論文に「Once Again: On the Concept of ‘Folk Dance’(いま一度、フォークダンスの概念について)」というタイトルを付けました。彼はこの論文の中で、「フォークダンス」という一つの言葉が、実は文脈によって異なる意味で使われていること自体を問題にしています。

  1. 本来の生活空間の中で、人々の生きた習慣として踊られている踊り
  2. 本来の文脈から離れ、保存や教育、レクリエーションのために収集・再興されて踊られる踊り

このように、言葉が生まれた後も「何をもってフォークダンスと呼ぶのか」という意味の揺れはずっと存在してきました。

もちろん、この名称が登場する以前から、世界各地の人々は自分たちの踊りを踊っていました。

  • イギリスでは「カントリーダンス(田舎の踊り)」や「モリスダンス(鈴をつけて跳ねる伝統舞踊)」
  • アイルランドなどでは「リール」や「ジグ」(軽快なステップの踊り)
  • ヨーロッパ各地では「ポルカ」(軽快な2拍子のペアダンス)
  • 日本では「盆踊り」や「念仏踊り」

人々はそれぞれの土地で固有の呼び名や役割で踊りを呼んでいました。つまり、「フォークダンス」という名前が生まれたのは、世界各地の人々が初めて踊り始めた時期ではありません。すでに存在していた様々な地域の踊りを、「folk」という近代的な概念によって後からまとめて呼ぶようになったのです。

③ 日本の学校に入った経緯

日本でも、明治時代や大正時代の唱歌遊戯(歌に合わせた遊戯体操)などを通じて西洋の踊りが紹介された歴史があります。しかし、全国の学校現場でフォークダンスが広く普及する大きな契機となったのは、戦後の教育改革とレクリエーション運動でした。

特に大きな影響を与えたのが、1946(昭和21)年6月に長崎に着任したアメリカ軍の教育担当官ウィンフィールド・P・ニブロ氏の活動です。元フットボールコーチであったニブロ氏は、戦後の荒廃の中で人々が手軽に楽しめる健全なレクリエーションの必要性を感じ、アメリカで親しまれていた「スクエアダンス(4組のペアが向かい合って踊るダンス)」の指導を自発的に始めました。

ニブロ氏の教室は大きな評判を呼び、教員や学生、警察官など多様な人々が参加しました。1947年以降は旧文部省の視察や全国指導者講習会の開催などを通じて、全国へと広がっていきました。

ただし、ニブロ氏が紹介したあと、すぐに現在の学校体育の形として完成したわけではありません。1947年の体育の学習指導要領(試案)から、1949年、1951年、1953年と改訂が重ねられる中で、表現・創作ダンスとフォークダンス(民俗舞踊)の扱いが徐々に整理され、学校教育の中での位置づけが整えられていきました。

また、この普及について「連合軍(GHQ)の占領政策として学校に持ち込まれた」と語られることがありますが、占領政策の公的指令として強制されたわけではありません。戦後の民主的な社会づくりや新しい教育を模索する中で、ニブロ氏らの熱心な活動が日本の教育者や若者たちに歓迎され、広がっていったというのが実際の経緯です。

戦後の学校教育では男女共学化が進められており、フォークダンスには「男女が一緒に楽しく活動できる教材」としての側面もありました。戦前の厳しい集団訓練とは異なり、仲間と手を取り合って楽しく体を動かす活動として、学校の体育や運動会、キャンプなどに定着していきました。

なお、日本の学校教育では「フォークダンス」と「日本の民踊」がいつも完全に別物として扱われてきたわけではありません。例えば1951年の中学校・高等学校の学習指導要領では、「フォークダンス」という項目の中に「日本の民踊」が含まれる形で位置づけられていました。その後の教育の歩みの中で、「日本の民踊」「外国のフォークダンス」といった区別が徐々に整理されていったのです。

④ 学校で実際に習ったもの

昭和の学校教育現場では、文部省の指導資料や学校用レコードなどを通じて、いくつかの代表的な曲目が繰り返し踊られました。

オクラホマ・ミクサー(Oklahoma Mixer)

戦後から昭和の小・中・高校で広く親しまれた定番教材です。この踊りを理解する上では、「曲の歴史」「踊りの歴史」「日本の学校教材としての歴史」を分けて考える必要があります。

  • 曲の歴史: 踊りに使われる音楽『藁(わら)の中の七面鳥(Turkey in the Straw)』という旋律は、19世紀前半のアメリカで『Old Zip Coon』などの曲と旋律上の深いつながりを持ちながら親しまれ、ミンストレル・ショー(当時の大衆芸能)などを通じて広く演奏・普及したアメリカの大衆歌曲です。
  • 踊りの歴史: 一方で「オクラホマ・ミクサー」というダンス自体は、アメリカ西部の「テキサス・ショティッシュ」系の動きなどを背景に持ち、パートナーを次々に交代(ミクサー)して踊るレクリエーションダンスとして整理されたものです。1940年代後半のアメリカのレクリエーション指導の記録にもその名が見られます。
  • 学校での踊り方: 男女が内側と外側に並んで同じ方向を向く「二重円」を作り、両手を交差させて手をつなぐ「プロムナード・ポジション」で前進やステップを踏んだ後、パートナーを順次交代していきます。

マイム・マイム(Mayim Mayim)

学校体育やキャンプファイヤーなどで親しまれたイスラエルの踊りです。

  • 起源: 古代から伝わる民族舞踊ではなく、1937年にパレスチナのユダヤ人集団農場(キブツ・ナアン)で、開拓者たちが井戸を掘り当てて水が湧き出た喜びを祝うために、エルス・ダブロン(Else Dublin)が振り付けた近代の創作舞踊です。
  • 踊り方: ペアを組むのではなく、全員が円の内側を向いて隣の人と手をつなぐ「単一円」を作ります。中心に向かって進退したあと、足を前後に交差させて横へ進む「グレープバイン・ステップ」を踏み、最後に手拍子やジャンプを行います。全員で息を合わせる一体感が特徴です。

コロブチカ(Korobushka)

ロシアの行商人を歌った歌曲に合わせた踊りで、アメリカのレクリエーション指導者らを通じて日本に紹介されました。男女が向かい合って二重円を作り、手をつないで進退した後に腕を組んで回り、元気に手拍子を打ちます。学校ではパートナーを交代する形式や、固定ペアで踊る形式が教えられました。

バージニア・リール(Virginia Reel)

英米の伝統的なカントリーダンスの流れを汲む教材です。男子の列と女子の列が向かい合って立つ「対向2列」の隊形を取り、先頭ペアが中央で回転したり、列全体で行進して腕のアーチ(トンネル)をくぐったりする幾何学的な動きを繰り返します。

ドードレブスカ・ポルカ(Doudlebska Polka)

チェコに由来する軽快な踊りです。男女ペアで二重円を作ってポルカのステップを踏んだ後、曲の変化に合わせて男性が内側で輪を作って手拍子をし、女性はその肩に手を置いて追従します。合図とともに男性が振り返り、新しい相手とペアを組むダイナミックなミクサー形式です。

ジェンカ(Letkiss / Jenkka)

1960年代にフィンランドの「レット・キス」が日本で大ヒットしたことを機に、学校の体育や遠足に取り入れられました。前の人の肩や腰に手を置いて一列の隊列を作り、左右の足踏みと前後のジャンプを全員で繰り返します。ペアを組む必要がなく、誰でもすぐに楽しめる運動として定着しました。

⑤ 昔と現在の違い

戦後から昭和の学校体育と、現行の文部科学省の学習指導要領を比較すると、以下のように変化しています。

比較項目戦後~昭和現在
主な教材外国のフォークダンスが広く普及日本の民踊や外国のフォークダンスなど
学習の進め方決められた踊り方を身につけることが中心だった踊り方の特徴を捉え、音楽に合わせて踊る
男女の関わり男女ペアの教材も多かった男女を固定しない組み方も可能
教育上の目的体育・レクリエーション・集団活動など踊りを通した交流や、踊りの特徴を捉えることなど

これは「昔は技術や型を覚えるだけで、現在は交流だけを重視している」という極端な二分法ではありません。戦後の学校教育でも仲間との協力や交流は大切にされていましたし、現在の文部科学省の解説や指導手引でも、外国のフォークダンスについて「パートナーと組んで踊る」「パートナーチェンジを伴って踊る」といった踊り方の特徴的なステップや組み方を身につけて正確に踊ることと、踊りを通した交流の双方が大切にされています。

時代の変化に合わせて、日本の伝統的な民踊がより幅広く扱われるようになり、性別による固定的なペアリングにこだわらない柔軟な指導が行われるなど、多様な学習の形が整えられてきたと言えます。

⑥ 「学校で習ったフォークダンス」と「民俗舞踊」の違い

「学校で習ったフォークダンスは、現地の人々が踊っている民俗舞踊そのものなのか?」というと、必ずしもそうとは限りません。学校教材化された踊りを理解するための一つの見方として、次のような過程を考えることができます。

  1. 第1段階:現地で生活や祝祭と結びついて踊られていた踊り特定の土地や信仰、村の行事の中で自然に育まれ、踊り手の感情や即興性が豊かに含まれる生きた身体表現。
  2. 第2段階:研究者や指導者が収集・整理した踊り19世紀末から20世紀にかけて、学者や民俗運動家が各地を巡って踊りを採集し、一般の人々が踊れるようにルールやステップを標準化したもの。
  3. 第3段階:学校教育の教材として整理された踊り学校の校庭や体育館で、大勢の児童生徒が一斉に無理なく安全に踊れるよう、教材として分かりやすく整理・紹介されたもの。

もちろん、すべてのフォークダンスがこの順番をきれいにたどったわけではありません。例えば『マイム・マイム』のように、第1段階のような古い伝統儀礼ではなく、1937年に集団農場での水源発見を祝ってエルス・ダブロンが振り付けた近代の創作舞踊が、指導者たちを通じて学校教材として定着した例もあります。

このように、学校で親しまれてきたフォークダンスの中には、世界各地の土着の踊りそのものというよりも、学校で大人数に教えやすいよう教材として整理・紹介されたものもあります。

⑦ 現代のペアダンスを「フォークダンス」と考えたら?

ここまで見てきたように、「フォークダンス」という言葉は、世界各地の人々が踊ってきた多様な踊りを、近代になって後から一つのカテゴリーとしてまとめたものでした。

では、この「地域の人々の生活や社交、祝祭の中で受け継がれてきた踊り」という考え方を、現在のペアダンスに当てはめてみたらどうでしょうか。

例えば、ドミニカ共和国のメレンゲやバチャータ、キューバのソン、アルゼンチンとウルグアイのタンゴなどを考えてみると、その境界は意外に曖昧になります。

もちろん、UNESCO(ユネスコ)の「無形文化遺産」と「フォークダンス」は同じ分類ではありません。ここでは、地域社会に根づき、伝承されてきた踊りの例としてUNESCOの登録例を見ていきます。

「フォークダンス」の条件を現在の目で考える

一般的にフォークダンスという言葉からは、「特定の地域や民族に根づいた伝統的な踊り」というイメージが浮かびます。

ところが、この条件をそのまま現在のダンスに当てはめてみると、現代では別の名前で呼ばれているペアダンスの中にも、かなり近い性質を持つものがたくさんあります。

  • メレンゲ(Merengue): ドミニカ共和国の社会生活やアイデンティティの一部であり、日常生活、社交、祝祭の中で踊られてきた伝統的な文化表現です。基本的に二人で組んで踊るペアダンスであり、UNESCOも2016年に無形文化遺産として登録しています。
  • バチャータ(Bachata): ドミニカ共和国の地域社会の集まりや祝祭の中で受け継がれてきた音楽とダンスです。UNESCOはこれを「土着的な文化表現」と説明し、カップルダンスとして2019年に無形文化遺産に登録しました。
  • ソン(Son): キューバの伝統文化であり、現在では広くラテン音楽やソーシャルダンスとして知られています。2025年にUNESCOの無形文化遺産に登録された実践では、ペアでもグループでも踊られ、即興と決まったパターンが組み合わされた伝統的な音楽・舞踊文化として位置づけられています。
  • タンゴ(Tango): 現在の日本では「社交ダンス」や「独立した舞台芸術」として認識されていますが、歴史をたどると、19世紀末にブエノスアイレスやモンテビデオの都市下層民の文化から発展した地域的な踊りです。ヨーロッパ系移民、アフリカ系奴隷の子孫、そしてクリオーリョと呼ばれる地域の人々の文化が混ざり合って生まれ、UNESCOもアルゼンチンとウルグアイの地域的伝統として無形文化遺産に登録しています。

メレンゲやタンゴは「フォークダンス」なのか?

ここで注意したいのは、「だからメレンゲやタンゴも全部フォークダンスだったのだ」と安易に断定することではありません。

そもそも「folk dance」という言葉そのものに、世界共通の明確な境界線があるわけではありません。先述したように、1968年に民俗学者のフェリックス・ヘルブルガーが「いま一度、フォークダンスの概念について」という論文を発表したのも、この言葉が文脈によって異なる意味で使われ、研究者の間でも簡単に一つの定義に収まらなかったからです。

重要なのは「どれがフォークダンスで、どれが違うか」と白黒をつけることではありません。

むしろ、「特定地域の人々が生活・社交・祝祭の中で受け継いできた踊り」という側面だけを取り出せば、私たちが普段考えているフォークダンスとの境界はきわめて曖昧になるという事実です。

「踊り」が先にあり、「分類名」は後から付く

人々は、フォークダンスという言葉が生まれるはるか前から踊っていました。

同じように、メレンゲ、ソン、タンゴ、バチャータなども、人々の暮らしや出会い、祝祭の中で自然に育まれてきました。

その後、それぞれの踊りには固有の呼び名がつき、音楽やステップの特徴によって整理され、国際的に広まる中で「ラテンダンス」「ソーシャルダンス」「ボールルームダンス(社交ダンス)」といった新しい分類の中に位置づけられていったのです。

なお、世界的な広がりを持つ「サルサ」のようなダンスは、メレンゲやバチャータのように特定の国や地域文化だけで語ることが難しく、カリブ海各地の音楽やニューヨークの移民社会など、複数の文化交流の中で発展したより複雑な歴史を持っています。そのため、現代の視点でフォークダンスという枠組みを当てはめようとしても、「どこに置くべきか判断が難しい例」として立ち現れます。

踊り現在よく使われる分類地域文化との関係ペアダンスの形態
メレンゲラテン/ソーシャルダンスドミニカ共和国の文化・社会生活に深く関係(UNESCO無形文化遺産)○
バチャータラテン/ソーシャルダンスドミニカ共和国の地域文化・社交に根づく(UNESCO無形文化遺産)○
ソンキューバ音楽・ダンスキューバの伝統文化(UNESCO無形文化遺産)○/集団
タンゴ社交ダンス/タンゴアルゼンチン・ウルグアイの都市文化(UNESCO無形文化遺産)○
サルサラテン/ソーシャルダンスカリブ海地域を中心とする複数文化の交流から発展○

学校で習った「フォークダンス」は、さらに狭い意味だった

この問題を踏まえて日本の学校教育を振り返ると、さらに状況がはっきりします。

学校で「フォークダンス」として教えられてきたものは、世界の地域舞踊を無差別に集めたものではありませんでした。学校体育では、教材として選ばれるにあたって明確な教育的理由が存在しました。

戦後のダンス教育に関する研究でも論じられているように、子どもたちの運動欲求を満たすこと、仲間との協力的な人間関係を育むこと、そして文化財としての価値を味わうことなどが重視されてきました。また現在の文部科学省の指導要領でも、特徴的なステップや組み方を身につけて正確に踊ることや、仲間と対応して踊ること、文化的な背景を学ぶことが示されています。

クラス全員で一斉に踊れること、共通の型やステップを共有できること、音楽に合わせて仲間と息を合わせられることなど、学校の集団指導と非常に相性のよい特質を持った踊りが教材として選ばれてきたのです。

そのため、日本におけるフォークダンスは以下のような幾重もの層を経て届けられてきました。

  • 世界の各地で踊られていた地域舞踊
  • 「フォークダンス」という近代的な広い分類
  • 学校教育の集団指導に適した教材フォークダンス
  • 日本人が「学校で習ったフォークダンス」として記憶している特定の踊り

この層を分けて考えると、「なぜ学校のフォークダンスにメレンゲやタンゴが入っていないのか」も自然に理解できます。

「フォークダンス」と「ペアダンス」は対立しない

結局のところ、「フォークダンス=みんなで輪になって踊るもの」「ペアダンス=フォークダンスとは別物」という捉え方は、分類の基準(軸)を取り違えています。

  • フォークダンス: 主に「どのような地域・文化の中で生まれ、伝承されてきた踊りか」という文化的ルーツの観点から捉える分類
  • ペアダンス: 「何人の関係で踊るか」という身体的・構造的(人数構成)な分類

フォークダンスの中には、『マイム・マイム』のように全員で輪になるものもあれば、『オクラホマ・ミクサー』『コロブチカ』『バージニア・リール』のように二人一組の関係を基本として踊るものも数多く存在します。

二人が向かい合い、手を携え、相手の歩調や回転の勢いを感じ取りながら踊る行為は、まぎれもなく「相手との二者関係の中で成り立つ立派なペアダンス」です。

フォークダンスという幅広いカテゴリーの中には、世界各地の地域文化に根ざした伝統的なペア舞踊から、学校教育の集団指導に合わせて整理された親しみやすい教材ペアダンスに至るまで、多様で豊かなペアダンスの系譜が確かに息づいているのです。

⑧ 特に重要な発見

今回の調査で確認された、一般にはあまり知られていない重要な点は以下の4点です。

  1. 「フォークダンス」という名前・枠組みと、踊りそのものの歴史は別であること: 世界各地で人々が踊ってきた歴史は何百年も前から存在しますが、それらをまとめて「フォークダンス」と呼ぶ枠組みは、19世紀後半以降に学者たちが近代的な分類として作り出したものです。
  2. 学校で親しまれた踊りの中には「伝統舞踊ではないもの」もあること: 『マイム・マイム』が1937年に作られた近代の創作舞踊であることや、『オクラホマ・ミクサー』のように曲の歴史(大衆歌謡)と踊りの歴史(近代のレクリエーションダンス)が別個に合流した例があるように、学校教材のすべてが大昔から受け継がれてきた伝統そのものというわけではありません。
  3. 「フォークダンス」と「ペアダンス」は対立しないこと: フォークダンスは主に「文化的ルーツ」による分類であり、ペアダンスは「踊る人数構成」による分類です。フォークダンスの中には、二人一組の関係性を基本とした立派なペアダンスが数多く存在します。
  4. 学校教育を通じて、日本独自の「フォークダンス」イメージが形成されたこと: 戦後、1950年にはすでに『学校で役に立つフォーク・ダンス20曲』といった学校向け教材本が出版されるなど、教育現場を通じて全国の子どもたちが同じ踊りを一斉に経験しました。この過程を通じて、「フォークダンスといえばマイム・マイムやオクラホマ・ミクサーのような踊り」という、日本独自の共通した親しみやイメージが育まれていったと考えられます。