――歌詞と「ペレオ」の文化的背景
はじめに:世界的な人気と「ちょっと恥ずかしい」というイメージ
音楽配信サービスやYouTubeで世界的なヒットを記録している音楽ジャンル「レゲトン(Reggaeton)」。日本でもフィットネスやダンススタジオで「ノリがよくて踊りやすいラテン系のダンス音楽」として親しまれる機会が増えています。
しかしその一方で、「動きがセクシーすぎて人前で踊るのは少し恥ずかしい」「歌詞や身体の使い方が過激なので、一般的なダンス教室では教えにくい」と感じる人もいます。また、日本では米軍基地周辺のバーやクラブで耳にする音楽というイメージを持つ人もいます。
ここでいう「ちょっと恥ずかしい」というイメージは、レゲトンという音楽や、その踊りすべてが性的だという意味ではありません。特に初期のレゲトンには、性的な内容や暴力、薬物などを露骨に扱う歌詞があり、それをめぐって社会的な論争が起きた、という歴史があります。
その背景には、レゲトンが大きく発展したプエルトリコにおけるストリートカルチャーの成り立ち、初期の過激な歌詞をめぐる社会的な議論や警察の取り締まり、そして音楽に合わせて発展した「ペレオ(Perreo)」という独特な身体表現の歴史が深く関係しています。
この記事では、音楽としての「レゲトン」と身体表現としての「ペレオ」を整理しながら、その歴史と文化的な背景を分かりやすく解説します。
1. レゲトンとは何か?:複数の文化が交わって生まれた音楽
発祥と音楽の混交
レゲトンは、パナマのレゲエ・エン・エスパニョール、ジャマイカのダンスホール、プエルトリコの音楽文化、そして米国のヒップホップなど、複数の音楽文化が交わる中で形成されました。
パナマで発展したレゲエ・エン・エスパニョール(スペイン語で歌うレゲエ)などがプエルトリコに入り、現地のヒップホップなどと結びつく中で独自の発展を遂げました。特に、ジャマイカのアーティストであるシャバ・ランクス(Shabba Ranks)の1990年の楽曲『Dem Bow』で使われた特徴的なリズムは、その後のレゲトンの基本的なリズムの一つ(デンボウ・リディム)となりました。
プエルトリコの公営住宅と「アンダーグラウンド」文化
1990年代初め、この混交音楽はまだ「レゲトン」とは呼ばれておらず、現地では「アンダーグラウンド」や「ラップ・イ・レゲエ」と呼ばれていました。
この音楽の初期シーンを担ったのは、カセリオス(caseríos)と呼ばれる公営住宅地などの都市コミュニティに暮らす若者たちでした。
当時はまだ大手の流通網に乗っていなかったこともあり、若者たちは自分たちで制作したカセットテープを直接手売りしたり、小さなクラブで曲を流したりしながら、アンダーグラウンドでコミュニティを形成していきました。
初期の音楽と現在のレゲトンの違い
初期のレゲトンと、現在のレゲトンとでは扱われるテーマに広がりが見られます。
- 1990年代から2000年代初頭のアンダーグラウンド期: 粗削りなサンプリングと重い低音が特徴で、貧困や暴力、警察との衝突、薬物、性的な関係などを題材にした曲もあり、ストリートの日常を反映した表現が目立ちました。
- 現在のレゲトン(2010年代以降〜現在): ルイス・フォンシの『Despacito』やバッド・バニーの楽曲に代表されるように、世界的なポップスとして受け入れられるロマンチックな曲から、性的な表現、社会的・政治的なテーマを扱う曲まで、内容も幅広くなっています。
日本でレゲトンが「明るく踊れるラテン系のダンス音楽」として受け取られることがある背景には、長い時間をかけて音楽が洗練され、世界的な商品として受容されていった歴史があります。
2. なぜ批判や規制の対象になったのか?:初期の歌詞と社会の反応
初期のレゲトン文化には、性的、暴力的、あるいは薬物などを露骨に扱う歌詞が存在し、それが社会的な批判や法的な取り締まりにつながった歴史があります。
問題視された主なテーマ
初期の楽曲には、以下のような内容が含まれていました。
- 街の暴力や犯罪の描写: 銃器や縄張り争い、警察による暴力などを直接的に表現したストリートの日常。
- 薬物を扱う表現: 違法薬物の密売やストリートの現実についての言及。
- 露骨な男女関係・性的な歌詞: クラブで体を近づけて踊ることを刺激的な言葉で煽ったり、男性目線から女性の身体部位を露骨に描写したりする表現。
- 青少年への影響への懸念: 学校現場で若者たちがこうした音源を聴くことに対して、保護者層や教育関係者から心配の声が上がりました。
なお、レゲトンの初期シーンには実際のストリート文化や犯罪を題材とした表現が存在し、アーティスト本人が犯罪事件に関わった例もあります。ただし、これはレゲトンという音楽ジャンル全体が犯罪と結びついていることを意味しません。
1995年の取り締まりと研究における視点
1995年、プエルトリコでは警察などが市中のレコード店に立ち入り、アンダーグラウンドのテープやCDを押収・没収する出来事が起きました。学校でもこうした音楽をめぐる規制や論争が起こりました。
当時の当局による取り締まりは、歌詞に含まれるわいせつ表現や、暴力・薬物乱用への懸念を理由として行われました。一方で文化研究や社会学の研究では、この取り締まりが単なる歌詞の問題にとどまらず、アンダーグラウンド文化を担っていた貧困層やアフロ・プエルトリコ系の若者に対する社会的偏見や、階級・人種・都市の貧困といった問題とも結び付けて捉える議論がなされています。
商業化と2002年の議会公聴会
商業化が進むにつれて、性的な表現を前面に出した楽曲やミュージックビデオも目立つようになりました。DJ Joeによる2000年の楽曲『Qué melones』(女性の身体を直接的に描写した曲)などは、女性の身体を男性目線で性的に扱う商業的な表現の例として、後に批評や研究で論じられています。
こうした動きに対し、2002年にプエルトリコ議会の上院副議長ヴェルダ・ゴンサレス(Velda González)らが、テレビやラジオでの過激な楽曲・ビデオの放送を制限する法案を提出しました。議会の公聴会では、男女が身体を密着させて踊るダンスの映像が流され、青少年への悪影響が強く批判されました。
これに対してアーティストや放送関係者からは、表現の自由を侵害するとの反発も起こりました。こうした論争そのものがメディアで大きく取り上げられたことも、レゲトンが広く知られるようになる過程の一部となりました。
3. 「レゲトンを踊る」と「ペレオをする」の違い
レゲトンにまつわるダンスを理解する上で、最も重要なのは「レゲトンを踊ること」と「ペレオをすること」は別であるという点です。
レゲトンという音楽が流れたからといって、必ずペレオをするわけではありません。レゲトンには、一人でリズムを取る踊り、振付を使ったダンス、男女が離れて踊るスタイル、そしてパートナーと身体を近づけて踊るペレオなど、さまざまな楽しみ方があります。そのため、「レゲトンは性的なダンス」と一括りにするのは正確ではありません。性的な表現を含む楽曲や踊りが存在する一方で、それだけがレゲトンではありません。
「ペレオ(Perreo)」とはどのような踊りか
- 言葉の成り立ち: 「ペレオ(perreo)」は、スペイン語で犬を意味する「ペロ(perro)」との関連から説明されることが多い言葉です。語源については諸説あります。プエルトリコでは「サンドゥンゲオ(sandungueo)」という言葉でも呼ばれてきました。
- 身体表現の特徴: 単一の固定されたステップ名というよりも、レゲトンにおける特定の踊り方や身体表現、クラブ文化を指します。膝を曲げて重心を低く落とし、腰や骨盤を動かすことが特徴で、相手と近い距離で踊る場合もあれば、一人で腰や骨盤を使って踊る場合もあります。
- カリブ海の広い文化的背景: 腰や骨盤を使った身体表現が重視されるダンス文化が、カリブ海地域のさまざまな音楽文化に見られます。レゲトンの身体表現も、そうしたカリブ海全域の広い文化的背景の中で捉えられています。
4. 歌詞とペレオ、そして「女性の主体性」
初期のレゲトンでは、男性目線から女性の身体を性的に描写する歌詞が多く、クラブでのペレオもそうした刺激的な言葉と結びついて発展した側面があります。しかし、女性アーティストの表現によって、このダンスには異なる視点も提示されてきました。
Ivy Queen『Yo Quiero Bailar』が示したもの
2003年に女性ラッパーのアイヴィー・クイーン(Ivy Queen)が発表した楽曲『Yo Quiero Bailar(私は踊りたい)』は、そうした女性の主体性を表現した重要な例の一つです。この曲は、フロアで踊ることを楽しみつつも、「踊りたい」という意思と、性的な関係を持つ意思は別である、という内容を歌っています。
この曲は、踊ることと性的な関係を持つことを切り離して表現した点で重要です。女性が踊ることと性的な同意を切り離して表現した作品として、研究や批評でも取り上げられています。
なぜレッスンでは扱い方に配慮が必要なのか?
日本のダンススタジオなどでレゲトンのペレオが「教えにくい」「恥ずかしい」と受け取られやすい背景には、以下のような要因が考えられます。
- 歌詞の内容と選曲への配慮: スペイン語の歌詞には、ストリート特有のダブル・ミーニングや露骨な大人のテーマが含まれるものがあり、受講者の年齢層やクラスの目的に合わせた選曲が必要です。
- 身体接触と同意の重要性: ペレオのように身体を近づけたり接触させたりする動きは、相手の意思を確認することが重要です。適切な理解がないままレッスンで身体を近づける動きを行うと、ハラスメントや不快感につながるリスクがあるため、指導現場では慎重な配慮が求められます。
5. 夜のクラブ文化と米軍基地との関係
日本国内では、「米軍基地の周辺でレゲトンを耳にすることが多い」という経験談があります。この背景を考えるため、米軍関係者の人口構成と、基地周辺のナイトライフについて見てみます。
米軍関係者の人口動態データ
アメリカ国防総省(DoD)の統計資料によれば、2022年時点の現役兵士全体におけるヒスパニック/ラテン系の比率は約18.4%です。また、軍種別では海兵隊(Marine Corps)において約25.9%となっています。
米軍にヒスパニック系の兵士が一定数いることは確認できます。しかし、それだけを根拠にして「基地周辺でレゲトンが多い」と因果関係を直接説明することはできません。基地周辺の音楽環境には、米国のメインストリームにおけるヒップホップやポップスの流行、各クラブのDJの選曲方針、日本人客を含むフロアの需要など、多様な要素が関わっています。
基地周辺のクラブ体験と「夜9時以降」の話
基地周辺のクラブ文化については、ラテン系のイベントなどでレゲトンが使われるケースもありますが、地域全体の傾向として確認できる統計があるわけではありません。また、基地周辺のクラブでレゲトンが流れることがあるとしても、それを米軍全体の音楽傾向として説明することはできません。
なお、「夜9時を過ぎると増える」という話を耳にすることがあります。ただし、これは店舗やイベントによって異なり、一般的な傾向として確認できるものではありません。
6. 現代における変化:自律的な表現と抗議行動
初期には社会的な批判を受けたペレオですが、近年では自律的な表現や社会的なメッセージを伝える手段としても用いられる例が見られます。
バッド・バニーの『Yo Perreo Sola』
2020年、バッド・バニー(Bad Bunny)は『Yo Perreo Sola(私は一人でペレオを踊る)』を発表しました。この作品は、ペレオを「誰かと踊るためのもの」だけではなく、一人で音楽と身体を楽しむ表現として描き、女性が自分の意思で踊ることや、相手からの望まない接触を拒むことを表現した作品として注目されました。
2019年プエルトリコ抗議運動でのペレオ
ペレオが抗議の場で使われた事例として、2019年夏にプエルトリコで起きた大規模な抗議運動(Verano Boricua)が知られています。
当時、リカルド・ロセジョー知事と側近らによる、女性や同性愛者などを侮辱する内容を含むプライベートチャットが流出し、こうした問題を背景に大規模な抗議運動が起こりました。この運動の中で、若者や活動家たちが知事官邸の前や大聖堂の階段などで音楽に合わせて踊る「ペレオ・コンバティボ(Perreo Combativo:戦闘的ペレオ)」と呼ばれるパフォーマンスを行いました。
ペレオ・コンバティボは、この大規模な抗議運動の中で使われた表現方法の一つでした。その後、連日の大規模なデモやストライキなどが続く中、ロセジョー知事は辞任を表明しました。
7. まとめ:初心者がレゲトンを知るためのポイント
- アンダーグラウンド文化から生まれた音楽: レゲトンは、公営住宅などの都市コミュニティに暮らす若者たちが、日常の現実を音楽で表現したアンダーグラウンドな文化から始まりました。
- 批判や規制の歴史があった: 初期の過激な歌詞や身体表現に対して、1995年のCD押収や2002年の議会公聴会など、社会的な論争や取り締まりが行われた歴史があります。
- 「レゲトンを踊る」と「ペレオをする」は別: レゲトンには一人で踊るスタイルや振付など多様な踊り方があり、身体を近づけて踊るペレオはその中の一つの表現・文化です。
- 踊ることと性的な関係の区別: Ivy Queenの楽曲に示されるように、「身体を近づけて踊ること」と「性的な関係を持つこと」を切り離して捉える表現もなされてきました。
- 米軍基地との関係は多面的: 米軍内にヒスパニック系の兵士が一定数いることは事実ですが、基地周辺の選曲には複合的な要素が関わっており、一律の傾向と断定することはできません。
- 現代のレゲトンは多彩: 現在では、世界的なヒットポップスから、自己表現や抗議を込めた楽曲まで、幅広い広がりを持っています。
レゲトンにまつわる身体表現に接したとき、戸惑いや恥ずかしさを感じる人がいるのは自然なことです。しかしその背景を知ることで、カリブ海地域の歴史や都市コミュニティの生活、そして人々の自己表現といった、さまざまな歴史や社会的背景を持つ音楽・ダンス文化であることが見えてきます。
つまり、「レゲトン=恥ずかしいダンス」なのではなく、性的な歌詞や身体表現を持つ一部の文化的背景が日本のダンス教室などでは「恥ずかしい」と受け取られることがある、ということです。