「自慢できるほどではないけれど、自分には大切」なものに気づくこと
初対面の人と挨拶を交わすとき、私たちは当たり前のように名刺を差し出します。そこには会社名や役職、部署名が書かれていて、それを見せれば自分が社会のどこで何をしている人間なのかをすぐに説明できます。私たちはいつの間にか、仕事の肩書きを使って自分を語ることにすっかり慣れてしまっています。
けれど、もし名刺を持たずに、ふとした瞬間にこう尋ねられたらどうでしょうか。
「仕事以外のあなたは、どんな人ですか?」
そう問いかけられると、少し考え込んでしまう人もいるのではないでしょうか。胸を張って人に言えるような大層な趣味があるわけでもない。人に自慢できるような特技や実績なんて何もない。休日は家で何となく過ごしてしまうことも多い。そう考えると、「自分には仕事以外、何もないのではないか」と、少し寂しいような、心もとない気持ちになってしまうかもしれません。
けれど、本当に何もないのでしょうか。私たちが「何もない」と思ってしまうのは、無意識のうちに「人に自慢できるような立派な趣味や特技」ばかりを探しているからなのかもしれません。仕事以外の自分というのは、わざわざ人に誇示するための資格や実績のことではないはずです。
人にはわざわざ自慢しないけれど、自分には大切。 人から見てすごいわけではないけれど、自分の人生にはちゃんと役に立っている。
そうした視点で自分の足元を見つめ直してみると、「仕事以外の自分」と呼べそうなものは、案外いろいろあることに気づくのではないでしょうか。
会社とは関係のない、人とのつながり
まず、会社という枠組みを一歩離れたとき、どんな人たちとのつながりがあるでしょうか。職場での付き合いは、どうしても業務の都合や立場、利害関係がついてまわります。けれど、会社の外に目を向けてみると、名刺や肩書きとはまったく関係のない人間関係が、何か一つくらい思い浮かぶかもしれません。
何年会っていなくても、顔を合わせれば一瞬であの頃のように戻ってくだらない話ができる学生時代の友人。趣味を通じて知り合い、年齢も仕事もまるで違うのに、その話題になると対等に夢中で語り合える仲間。海外に知り合いがいたり、旅行先に行けば顔を合わせられる人がいたりする。あるいは、近所の喫茶店や居酒屋で、行けば「いらっしゃい」と気さくに声をかけてくれる店主がいる。
会社では「課長」や「営業担当」「○○部の人」と呼ばれていても、会社の外では「昔からの友達」「いつもの飲み仲間」「旅行に行くと会う人」「一緒に踊る人」としてそこにいます。会社での肩書きとはまったく違う呼ばれ方をしたり、違う顔を持っていたりする人も多いのではないでしょうか。会社ではあまり話さない無口な人なのに、趣味の仲間といるとよくしゃべる。職場では責任ある立場なのに、休日は誰かに教えてもらいながら楽しんでいる。普段は人に頼られる側なのに、別の場所では素直に誰かを頼っている。
また、会社の外には、自分の仕事をほとんど知らない人もいるでしょう。その人は、あなたが会社でどんな役職なのかも、どんな評価を受けているのかも知りません。それでも一緒に笑ったり、食事をしたり、趣味を楽しんだりできる。そこでは、「会社で何をしている人か」ではなく、ただ「この人と一緒にいると楽しい」「話していると落ち着く」という関係が成り立っています。そんな関係があることも、仕事以外の自分を思い出させてくれるものかもしれません。
行くと気持ちが落ち着く場所
人とのつながりだけでなく、「自分が行くと落ち着く場所」があることも、大切な仕事以外の自分の一部です。平日は家と会社の往復だけで終わってしまうように感じていても、少し思い出してみてください。
仕事帰りにふらりと寄れる小さな店や、休日に一人でゆっくり過ごせるお気に入りの場所。趣味のために通っている場所や、仲間と顔を合わせてホッとできる場所。旅行に行くと必ず立ち寄るお気に入りのスポットや、昔からなぜか好きで、行くと心が落ち着く散歩道。「ここに行けば、仕事のことを考えずにすむ」と思える場所が街の片隅や旅先に一つでもあるなら、そこはあなたにとっての大切な居場所です。
理由もなく好きなこと、没頭できる時間
仕事以外の自分を考えるとき、「立派な趣味」を思い浮かべる必要はありません。人に言うほどのことではなくても、これをやっていると何となく楽しい、時間を忘れてしまうというものはないでしょうか。
音楽をじっくり聴くのが好き、カメラを持って街の風景を撮るのが好き、自分のためだけに料理を作って美味しく食べるのが好き。あるいは、ベランダで植物の世話をして葉が伸びるのを眺めたり、休日に静かに本を開いたり、古い機械をいじったり、あてもなく知らない街を歩いてみたりする。
たとえば、身体を動かすことが好きなら、運動やダンスを通じて新しい人間関係ができることもあります。そこで知り合った人は、会社の同僚とは違います。年齢も仕事も違うかもしれません。運動やダンスをやめたとしても、そこで知り合った人との付き合いが残ることもあります。「身体を動かすこと」そのものが好きなのかもしれないし、「そこへ行けば誰かに会える」ことが好きなのかもしれません。
合唱でも、釣りでも、写真でも、ダンスでも、旅行でも同じです。上手いか下手か、人から褒められるかどうかは関係ありません。趣味と言うほどではないけれど、自分はこれが好きだ。そう思える時間を持っていることもまた、仕事以外の確かな自分です。
気分を切り替える方法、そして何もしない時間
楽しむことと同じくらい、仕事以外の自分を感じさせてくれるのが「気分を切り替える時間」です。仕事で嫌なことがあったり、人間関係で疲れてトゲトゲした気分のとき、自分なりの気晴らしの方法を思い浮かべてみてください。
一人になって誰の目も気にせず静かに過ごす、誰かに話を聞いてもらって気持ちを吐き出す、お気に入りの音楽を聴いて気分を切り替える。思い切り身体を動かして心地よい汗を流すのもいいですし、温かくておいしいごはんを食べたり、お気に入りの温かいお茶をゆっくり飲んだりするのもいいでしょう。湯船にゆっくり浸かる、夜の涼しい風に当たりながら少し遠回りして歩く、今日はもう何も考えずに早く寝てしまう。海や山を見に行ったり、車を運転したり、ペットと一緒に過ごしたりする。
自分なりに気分を切り替える方法があることも、仕事以外の自分の一部なのかもしれません。誰かに自慢するようなことではありませんが、そうした自分なりの工夫も、あなたという人間を形作っています。
そして、何もしない時間が好きな人もいます。休日に予定を入れず、家でぼんやり過ごす。窓の外を眺める。昼寝をする。そんな時間も、決して「何もしていないだけ」と考えなくていいのかもしれません。仕事では常に「何をしたか」「どんな成果を出したか」が問われますが、仕事の外では、何かをしている自分だけが自分ではありません。何もしないでただ過ごす自分がいてもいいのです。
誰かに頼られたり、誰かの役に立ったりする自分
「できること」と言うと、仕事で使う専門スキルや資格を思い浮かべるかもしれません。けれど、会社とは関係のないところで、誰かから頼りにされていたり、ちょっとした役に立っていたりすることもあるのではないでしょうか。
それは大げさな特技ではなくても、「このことなら、あの人に聞けばいい」と思ってもらえていることかもしれません。家族のちょっとした相談相手になっている、友人からパソコンやスマートフォンの使い方を聞かれる、旅行の計画を相談される、地域の裏道やおいしい店をよく知っている。人と人をつなぐ役回りをしていたり、子どもや孫に昔の遊びや得意なことを教えたり、趣味の集まりで不安そうな初心者をそっと助けてあげたり、誰かが困っているとつい放っておけなかったりする。
あるいは、初対面の人とも気後れせずに話せる、人の話を遮らずにじっくり聞いてあげられる、海外に行ったときに言葉が通じなくても身振り手振りで何とか通じ合える、地図を見るのが得意で道をよく覚えている、冷蔵庫のあり合わせでパッと料理が作れる。これらは履歴書に書くような資格ではないかもしれませんが、「自分は誰かにとってちょっと助かる存在なんだ」「これも自分の一部なんだ」と思える大切な力です。
これまで歩んできた道のり、そしてこれからの自分
こうして拾い上げてきたものは、すべてあなたがこれまでの人生の中で積み重ねてきた経験からできています。
若い頃に夢中になっていたこと、学生時代の友人、昔住んでいた街の懐かしい風景。昔やっていた趣味や、若い頃に旅した場所の記憶。人生の大きな分かれ道で悩んで下した決断や、当時は本当に苦しかったけれど乗り越えて今では笑い話にできる失敗。そうしたものも、今の自分を作っている大切な要素です。履歴書に書くことはなくても、誰かと入れ替えることのできない、あなただけの確かな経験です。
そして、「仕事以外の自分」は過去や今持っているものだけではありません。これから増やしていくこともできます。
行ってみたい場所がある、会ってみたい人がいる、やってみたかった趣味に少し手を出してみたい、昔やっていたことをもう一度始めてみたい。一人で新しく始めてみたいことや、誰かと一緒に楽しんでみたいこと。まだ持っていないものも、これから少しずつ作っていけばいい。そう考えると、これからの人生にもまだまだ楽しみがあると思えてきます。
では、仕事以外のあなたは、どんな人ですか?
最初と同じ質問を、もう一度自分に投げかけてみてください。
「仕事以外のあなたは、どんな人ですか?」
最初にこの問いを見たときには、「何もない」と感じたかもしれません。けれど、会社とは関係のない友人や、ふらりと行ける場所、人知れず好きなこと、気分を切り替える方法、何もしない時間、誰かの役に立っていること、そしてこれまでに通ってきた道のり。そうしたものを一つずつ拾い集めてみた今なら、少し違う答えが浮かんでくるのではないでしょうか。
仕事でうまくいかなかった日、職場で嫌なことがあった日。そんなとき、会社での評価が、そのまま自分自身の評価のように感じられてしまうことがあります。「今日は会社でうまくいかなかったな」と思うことはあっても、「自分の人生そのものがうまくいっていない」とまで思わずに済むのは、仕事とは別のところにも自分がいるからかもしれません。
「仕事では今日は散々だったけれど、帰れば自分の好きなことがある」 「今週は大変だったけれど、週末にはあの人に会える」 「会社ではうまくいかなかったけれど、自分にはまだ行きたい場所がある」 そんなふうに思えるだけでも、少し違うのではないでしょうか。
仕事は、人生の大切な一部です。だから、一生懸命働くことも、仕事に誇りを持つことも悪いことではありません。ただ、仕事をしている自分だけが、自分のすべてでなくてもいいのです。
会社とは関係のない友人がいる。 行きたい場所がある。 好きなことがある。 旅行に行けば会える人がいる。 自分なりの気晴らしの方法がある。 人には言わないけれど、ちょっと得意なことがある。 誰かの役に立っていることがある。 昔から大切にしているものがある。 これからやってみたいこともある。
こうして一つずつ拾っていくと、「仕事以外の自分」は、思っていたよりずっとたくさんあるのかもしれません。
新しく何かを作らなければならない、という話ではありません。振り返ってみれば、すでに自分の中にあったものもきっとあるはずです。まずは、そんな足元のものにふと気づいてみる。それだけでもいいのです。
どれも、人に自慢する必要はありません。でも、そんなものをいくつか持っている自分を、「まあ、悪くないな」と思えるなら、それで十分なのではないでしょうか。